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自信の貯金



今の自分に自信がもてるか…そう聞かれたとしたら、その答えはNOだ。


高校生の頃、ここの大学に受かりたい、その一心で勉強をした。
大学生の頃、あほみたいな量の授業も、単位も、全部取った。
教員採用試験、大学推薦をもらったから一次試験がほぼ無いに等しく、ただただラッキー受験。

やっとの思いで…というよりかは、ラッキーが続いてなれた「先生」という仕事。

子どもたちに勉強を教えて、集団で生活することを教えて、人との適度な距離を教える。

「教師は勉強が第一だ」

そんな言葉はもう耳が痛くなるほど聞いた。

でもわたしはそうは思わなかった。わたしが一番大事にしていたのは、「居場所作りを含めた人間関係」だった。

正直、勉強なんてどこだってできるし、やろうと思えば一人でもできる。
環境を変えても学校のカリキュラムは同じだし、世間は参考書であふれている。


でも、人間関係はどうだ。


「そこ」におかれた状況下で、自分をどう出すのか、どう過ごすのか。自分でも身内でもない誰かと、どのように適度な距離を保つのか、関わっていくのか。

環境を変えたって、こればっかりは、自分自身の根っこの部分だから、そう簡単に変えることは難しい。

でも

自分の居場所がひとつでもある学校、クラスだったらどうだろう。


勉強はできなくて、テストでいい点とれなくて、お母さんに叱られたって、学校にいる間は楽しいのではないだろうか。



笑って「おはよう」笑って「また明日」ができるのではないだろうか。


わたしは、そのために先生を続けた。


毎日、子どもの笑顔だけがわたしの支えだった。

2年間組んだ主任、怒ると怖くて、朝は基本不機嫌で、子どもの前でもわたしを叱った。でも仕事は早くて、細かくて、的確で。その主任から学んだことは山ほどある。感謝している。

だけど

その2年間で、わたしは今まで積み上げてきた大事なものを失った。

それは

わたしの幸せマインドを構築してくれていた、根拠のない自信である。


自信の貯金


根拠のない自信は、その人を最強にするアクセサリーだと思う。

もちろん、仕事をする上で、ある案件に対する処理方法、対処の仕方があっているのか間違っているのか、わからないのに、上司に聞かず、「これで合っているだろう!」と押し進めてしまう、【謎の自信】これはまた別だろう。

けれど、当の本人の意思や、頑張っている努力を知らずに「お前はこうだから、こういう人間なんだからこうしないとだめだ」という、知らないくせに豪語する決めつけだとか、「俺がお前くらいの時はこんなこと当たり前だったのにな」という過去の押し付けだとか。

そういう言葉の積み重ねで、自信の貯金は少しずつなくなっていってしまうのだと思う。





自分のことは、自分にしかわからない。



私の感情なんて、わたしだけのものだ。




他人に自分を理解してもらうことが、一番幸せなのではない。と私は思う。

そりゃ、理解してもらうに越したことはないし、そのほうが生きやすくて、受け入れてもらえて、居場所ができる気がする。

でも、受け入れてもらおうと頑張りすぎて、自分の心を殺すことは本末転倒だ。





わたしはわたし、あなたはあなた




それは、いつだって誰だって、変わることのない事実だと思う。
自分が決めた選択を、自分で決めた道を、胸張って歩く。これができたら、万々歳だ。

進んだ道の先で出会った同志に、心を理解してもらうことができたら、超ラッキーだ。


超ラッキー


その程度でいいのだと思う。

期待をしていないわけではない。だけど、あくまで、その人の気持ちはその人のものなのだから、任せておけばいいと思う。

なによりも、自分の気持ちを信じてあげることが、自信の貯金につながる、そう思う。


めずらしく、今回は語ってしまったなぁ、と思うが、こういう書き方のほうがわたしらしくて好きだ。
需要があるかないかは別として。(普段のもないかもだけれど)

って、私自身も、まだまだ自信の貯金はたまっていない。


ふう。