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なぜ先生をやめたのか

こんにちは はなぺこ です。

 小学校教師を辞めて1.5週間。
元同僚はコロナウイルスの対応ですごく忙しいみたいで、学校は急行措置をとったと聞いた。
新しい年度、新しいクラスの友だちとの新しい日々が始まる予定だったのに残念に思う。
先生方、お疲れさまです。

 では、前回の記事で「なぜ 小学校教諭 をやめたのか」について今回は書いていきたいと思う。

どうして先生をやめたの?

  わたしは 子どもが大好きだ これがまず大前提。

大学生の時

わたしは4年間を通して3つの小学校で教員補助として活動していた。(NPO法人の活動の元で配属していたのでボランティアのようなそうでないような感じだけれど)

1年生の時はとにかく学ぶことが多くてただひたすらに勉強していた気がする。けれど2年生。少し自分に余裕ができて「なんでわたし先生になりたいんだっけ」と疑問を抱くようになった。だって

他の 職業 をあまりにも知らなかったから

 世間ではどのような大人がいて、どんな仕事があって、
そのおかげでどんな世界が広がっていて、今私たちが生きる世界があるのか。
わたしは全然知らなかった。
だって、先生になるために、この大学を受験して
教育学部で必死に勉強していたから。
周りの友だちだってみんな先生になりたくてここにきている。

でも、だからこそ、わたしはそこでまず大きく心が揺れ動いた。

 だけど、前記したように、子どもたちの日々の成長を、
屈託のない笑顔を守ることができる「先生」を間近でみることで、
やはり自分は 先生になりたいんだ と思い直し、
教員採用試験を受けることとなる。

 結果、合格し晴れてストレートで先生になった自分に、
先生としての初めての春がやってきた。
(正直落ちていたらワーホリをしようと考えていたから、それはそれで違った人生だったんだろうなぁ…とも思う)


 1年目、1年生の担任をした。
初任で1年生の担任はなかなかまわってこないよ…と周りからは驚かれたが、
わたしには適任だったように思える。
幼稚園教諭の資格もあったための人事かな、と感じた。
とにかく毎日が新鮮で、初めてで、子どもたちは可愛くて、
学年主任は優しくて(先輩は少し怖くて)恵まれた1年間だった。


 2年目、5年生を持つことになる。
その後6年生と持ち上がりになるのだが。
この時組んだ学年主任の先生がとっても仕事が早く、できる人だった。
がしかし、その主任にわたしは悩まされることとなる。

穏やかな時と気性が荒い時の差が激しい主任は、
大抵週明けはとっても機嫌が悪い。
そういう日は大抵、机の上にパックの豆乳が置かれている。
反対に、週末は機嫌が良い。
机の上にテイクアウトのホットコーヒーが置かれている。
これが主任の基本的な機嫌の合図だ。
わたしは主任の機嫌を害すことがないように努めたはずだったんだが…
だめだった。

2年通して何度怒られたことだろう。
叱られた、指導されたのなら納得はいくのだけど、
理不尽なことで怒られたことの方が多かったかな、苦しかった。
でもまあ、社会経験だ…と言い聞かせて2年間がんばった。
子どもたちのためだけに。

子どもたちとは、それはそれは楽しい毎日だった。
今日は何をしよう、何を話そうとわくわくし続けることができた。
そうして2年間が過ぎ、大好きな子どもたちを無事、卒業させることができた。わたしも晴れて、主任から卒業した。

そうして3年目が終わり、4年目、5年目とあっという間に時は過ぎていった。

5年目となると、初任校最後の年。来年度は違う学校で働くのか〜

漠然とそんなふうに考えていたと思う。
管轄内でどこか雰囲気の良い学校しらない?と同僚に聞いて回った。
そんなふうに異動の準備を進めていたわたしが急に
「辞める」という選択をした理由。それは

「この世界だけで人生を終わりにしたくない」と思ったからである。

教育の現場はいつだって子どもたちと、保護者と向き合っている。
わたしはその世界が好きだった。だけれど、毎日出会う人たちは同じ人。
たまに外部の人が来たと思ったら業者。

世の中にどんな仕事があるのかな?
なんて考えていた大学2年生の頃の自分がふと顔を覗かせたのだ。

それからはもう早かった。「辞めたいかも」と考え始めてからは。

いろんな仕事を調べ始めた。世の中こんなに仕事があるのかと驚いてしまった。人生28年目になって社会に出て5年過ぎたのに、
わたしは社会のことなんてこれっぽっちも知らなかったのだ。

環境を変えたい。

ただそう思った。「先生」ではない自分の人生を歩むことがした。そう思った。

音楽が好きで、旅が好き。
食べることが好きで、写真とカメラにどハマりしている。
そんな今の自分が好きだ。そんな自分をもっと余裕を持って愛してあげたい。

今の自分を精一杯愛してあげること、そしてそんな自分を発信すること。
時間にゆとりを、心に余裕を持つこと。丁寧に暮らすこと。
先生としての肩書をなくして、好きなことをやってみる時間が、
きっと必要だった。辞めた今はそう思う。

もちろん、少し寂しい気持ちはあるのかもしれない、でも「かも」だと思う。
きっとわたしの中に後悔があまり残っていないのだろう。
自分の選択は「責任を持つ」のではなく「信じて愛する」そうすることにする。

さぁ、これくらいで話せたのだろうか。
教育のことについて、離れたあとでも書きたいことは山ほどある。
だってそれも「自分の一部」だから。でもそれは、またの機会にしよう。

では、早速次回から、わたしの好きな 旅 についてのテーマで記事を書いていきたいと思います。