mind

旅をして自分を愛そう

わたしは 旅 が大好きだ 

きっとその気持ちは、今までも、きっとこれからも変わることはないだろう。
今日は、旅と事項肯定感の向上について自分の素直な気持ちを書いていきたい。



まず、「自己肯定感」という目に見えないものについて。
それは、「自尊心」とか「自己存在感」「自損感情」などといったように、
【自らの在り方を肯定的に評価する感情】である。簡単に言うと
自分で自分のことを大切にしたいと思える気持ちのことだ。

わたしは、全色である小学校でクラス担任をしていた時
この「自己肯定感」が低い児童にたくさん出会ってきた。

自己肯定観が低い児童たちは、なにか始めよう、という時になると
ある程度のところまではみんなと一緒に楽しもうとするのだが
途中で一変し、立ち止まってしまう。そしてこう言うのだ。

「自分なんてどうせ」


そう感じてしまう背景には様々な要因がある。
①親や身近な大人褒めてもらったり、認めてもらった経験が乏しい。
②周りにうまくなじめず、孤立感を抱いている。
③まだ自分自身が輝くことが出来るものに出会えておらず、本来の力を発揮できずにいる。


十人十色、その理由は様々である。


でも、実は私もその一人だった。

だが、私が育った過程は、大変愛情深く、大事に愛されて育ったのだと、
28年経った今でも胸を張ってそう言える、そんな家庭だ。愛情は足りていた。

小学校のかけっこだって学校でナンバーワン。
勉強だって大きな挫折はしたことはない。(数学は苦手だったが)

なのにどうして?

結論から言うと、わたしは人間関係に苦戦してしまったのだ。

小学生まではなんともなかった。なのに、中学生にあがり次第に周りでは
どこかしらで、誰かによって、継続的に「いじめ」が発生していた。
わたしもその餌食になってしまったのだ。

幸い、私をいじめる人がいても、私には絶対的な友達がいたため、
大事には至らず、その友達の援護もあって事態は収束し、いじめてきた本人たちより謝罪されて終わった。

が、やはり思春期の私の心には大きく響いたのであった。

それからというもの、「痛みなんて所詮他人事でしょ」「信頼?なにそれ」
そんなふうに、他人と自分との間に、深い溝を作ってしまう自分になってしまった。

そのころ記していた自身の日記にはこう書かれていた。

『人間なんて、大嫌い』


自分も人間だというのに、人間が嫌いと書かれていたのだ。
そして、それからというもの、そんな自分も嫌いと思うようになった。

みんなに好きでいてもらえない自分なんて大嫌い
愛される努力をしないといけないなんて人間面倒くさい


そうやって、自分を閉ざしてしまっていた。
そんな自分を変えたくて入学した高校。
当時の私は、英語が好きで、小学5年生から習っていた英語をもっと学ぶべく
【国際科】がある高校に進学した。

好きなことを学ぶために選んだ高校に一緒に遊学したのは
私と同じように【好きなことを学びたい人たち】だった。
わたしは、この記事を書きながら、今でもその出会いに救われたなぁ
なんて思い出している。

この高校生活3年間で知ったことは


好きなことを続ける先にはよき出会いがある

ということだった。

大学は、教育学部に入学した。
高校であれほど勉強した英語を話す機会が減ってしまうことが嫌で、
成田空港でのアルバイトは5年間辞めなかった。

毎日いろいろな国の人が出入りする日本の玄関で「いってらっしゃいませ」を
繰り返し、話をするこのアルバイトが大好きだったからだ。
「一期一会ってこういうことなのかな」なんて思ったりもした。

そういえば、
高校生の時履修していた授業に「世界文化史」という科目があった。
世界を旅することが大好きなおじいちゃん先生による、趣味の延長のような授業。

彼自身の旅の記憶と、記録。文化史歴史に関する膨大な知識を、ただひたすらに
楽しそうに語る彼の授業が大好きだった。そして私はいつしか思うようになった。

一人旅をして、実際にこの目で見てみたい。


大学生になった私の話に戻る。
大学生の夏休みは長かった。1か月以上も自由な時間があるのだ。
旅に出るしかない、私はそう思ったのだった。

初めての一人旅には、大好きなヨーロッパを選んだ。
(出国)フランス→スペイン→フランス→チェコ→イギリス(帰国)
の、5か国を2週間でまわるという一人旅初心者にとっては怒涛のコースだ。

初めての一人旅だったが、ツアーには入らず、海外LCC のチケットも
全部自分で手配して(ひとつ前の記事にあるよ)行きたい場所のピックアップや
経路の決定、宿泊場所等すべて自分で決めた。
初めてだったのに、我ながらよく頑張ったと思う。好きなことのためなら頑張れるんだな、私。

旅行会社勤務の父は、私がひとりで海外に行くことを決めたことに
心配し、たくさんの資料や日本大使館、緊急時についての書類、
それぞれの国のおすすめスポットをまとめた資料をごっそり渡してくれた。
(さすがだ…と思った)


でも今よりずっと知らないことが多くて、宿のロケーションだとか交通費だとか、
失敗と言ってしまえば失敗のような事件が沢山あったように思える。
予算よりも20万円もオーバーしちゃったし。


でも、わたしは、一生忘れることができない、そんな感覚を知ってしまったのだ。ここからは想像して呼んでほしい。



飛行機の座席に乗って一人の座席、隣には知らない人。
大きな音を立ててかかる飛行機のエンジン。
見慣れた日本語と裏面に書かれた英語表記の安全のしおり。
だんだんとスピードが速くなる機体。
ふわっと機体が浮いて体が斜めになる。
重力に逆らえない私たちは背もたれにグッと引っ張られる。
耳が変な感じがして直そうと必死にあくびをする。
何時間乗っていたのか、知らない間に寝てしまっていた。
さっき腹ごしらえをしたはずなのに出てくる機内食。
まだ眠くないのに時間調整のために行われる消灯。
お腹はいっぱいなのに出される朝食。
今は夜なのか、朝なのか、よると朝の境目がはっきりしなくなった頃
私を乗せた飛行機はフランスに到着した。

どこ出身の人なのかわからない人間で溢れた空港。
とめどなく流れてくる預け荷物。
やっと流れてきた自分のバックパックをかついで出口に向かう。

宿泊する予定のモンパルナスに向かうために地下鉄に乗る。
行きかう人の顔、聴こえてくる言葉、目に映る読めない文字。
私が今まで生きてきた正解とは、まったく違うようで同じような誰かの日常。


地下鉄に乗っていたのに、いつの間にか地上に出ていた。
知らない街並み。
思っていたよりも落書きが多いんだなぁ、なんて思ったりした。

着いた、モンパルナス。

圧倒された。
瞳に映るものすべてが大きかった。広かった。壮大だった。
自分が米粒のような感覚に陥ったのだ。

私自身が米粒なら、私が抱える悩みなんてのは
もしかしたら米粒よりももっと小さなものなのかもしれない、そう思った。
だから、私はその時初めて自分のことを、自分の心の闇を

ちっぽけだ。

そう思ったのだ。
前向きなひとりぼっちの感覚が自由で、嬉しくて、なんでもできる気がした。
なんだ、こんなことで悩んでいたのか、なんてすら思えてきたくらいだった。

旅の道中は、様々な人に助けてもらった。
地図を読むのが苦手な私は、当時オフラインマップの存在も知らず
ホテルでもらった紙の地図を片手に、目的地に向かってひたすら歩き続けていた。

いつもと同じ道を犬と散歩しているおばあさん
スーパーマーケットの店員さん
手をつないで歩く老夫婦
お土産物屋さんの気前のいいおじさん

沢山の人に助けを求め、温かく助けてもらい、旅を終えた。

自分一人で解決できないことは、誰かを頼れば良い。
助けを求めることは、悪いことではない。
でも、自分で頑張るのか、それとも誰かを頼るのか
それを決めるのも自分だ。

そう思えた。


自分はちっぽけだと思えた感覚が、ひとりぼっちの自分を支え、
自分で自分を支えたことによって生まれた、自分を信じて愛する気持ち。

私が今まで向き合うことが出来なかった、自分を否定する気持ちは、
旅をすることによって、自分を信じて愛する気持ちに変化を遂げたのである。


自分にしか出来ないことを貫くときには、時には寂しいと感じることも多くあるだろう。
だけど、自分にしかできないということは、自分で自分を信じて愛するチャンスであるのかもしれない。


選ぶのも自分、進むのも自分、立ち止まるのも、変化を加えるのも自分。
あの頃の私はもういない。もしかしたら隠れているだけなのかもしれない。
だけど私は、旅のおかげで、自分を愛することが出来るようになったのだ。



だから、ひとり旅はやめられない。